一月末、ふと思い立ち、刎頚の友であり我が人生で最も影響を受けた人物であるsに電話を入れてみた。いつもの通り近況の確認と冗談話でも交わすつもりだったのだがかなり様子がおかしかった。

彼は数十年前より中国で2社の製造工場を経営しており、不況の影響はあっても深刻な問題は無かった筈だ。むしろ周辺からは大成功者として認知されていた。

彼の話では、尖閣問題がピークであったある日、彼の工場に地方自治体役人が突然乗り込み、証憑やその他書類関係を粗探しした。元々彼はその様な中国特有のリスクに備え、登記上は一切自らの名を伏せ、社名、経営実態も独立当時から揺るぎない信頼を置く香港人女性Aの企業として経営を司っていた。だがその実態は彼が日本で運営する商事会社との取引が売上のすべてであったことから、日本叩きが目的で調査をしかけてきた役人達の恰好の餌食となった。「販売先は100%日本じゃないか。実体は日系企業ということだな」と後付けで経営者を追い出す規則ための規則をでっち上げ、彼女が中国から出国せざるを得ない様追い詰めた。

そこで身の危険を感じた彼女は命からがら中国から出国したが、あろうことか当の地方自治体は、経営者不在の間に、超法規的にその工場を接収してしまった。

彼女にしても自らの半生に渡り取り組んできた、生活基盤でもある工場を設備ごと召し上げられ、買掛金だけが残った。彼の地で大きな金額の金銭トラブルを起こせばどうなるか、暗殺者が放たれるのも想像に難くない。

その直後彼女は自殺未遂に至り、命は取り留めたものの、そのまま行方不明となった。中国社会の実態とはこの様なものだと見せつけられた。

そこまでは「大変なことが起こったものだなあ」と思いながらも、当人はすでにいつ引退しようが悠々自適の身なので、東京とバンコクの距離的感覚のギャップもあり、申し訳ないが私自身は遠隔の地で心配をするのみだった。

その時にはまさか、それがとんでもない事態に発展するとは想像だにしていなかった。

数日後本人から連絡が入り、彼女の行方も未だ知れず、本人は心労から酒浸りとなり仕事どころでは無く、酷い肝硬変を患い「すでに通院診療をしている場合では無い。すぐに入院して貰わなければ命にかかわる」と医者に宣告されたという。それでも元来医者嫌いの彼は、そんな状態に至ってもまだ入院を拒んでいたのだ。私は「とにかく頼むから入院してくれ。体以外のことは皆後回しにするしかないだろう」と言うことしかできなかった。

さらにその2日が経ちまた本人からの電話。「前夜に倒れて救急搬送された。肝硬変で肝臓はまったく機能してないので、このままではいつ何があってもおかしくないと医者に言われた」そんな言葉を本人から聞かされるとは・・・。私は言葉を失った。

急なことで何をどうしたら良いのか、一晩眠れずに考えた末「とにかく会いに行くしかない」と出発準備を始めたが、翌朝には連絡が途絶え、私の頭の中では最悪の事態が起こったのだという想像が渦巻き、しかも動こうにも入院先の病院を聞いていない、という堂々巡りの事態に陥ったのだ。