2010年4月上旬の日曜日、私はある友人とランチの約束をしていた。自宅前でタクシーを停め、目的地のショッピング・センター「セントラル・ワールド」へと指示し乗ろうとすると、運転手に“とんでもない”という仕草で乗車拒否された。
おかしいなと思いつつ、仕方なく高架電車の駅まで歩き、目的地と直結しているサイアム駅へ移動した。連絡橋の上を辿り近付いていくと、地上は何やら物々しい雰囲気である。見下ろすと前方にあるラチャプラソン交差点(バンコク一のショッピング・エリアであるこの地域の中心)方面にかけ地上はすべて赤一色だ。それは赤シャツ、赤いバンダナを身に付け更に赤い大旗小旗を振り、地方(主に東北)からピックアップやバイクに乗り終結した「赤シャツ派(タクシン元首相支持派)」が都心の大交差点を交通遮断し、この日の朝から占拠を開始したのである。この光景には驚いたが、「勝手にしろ」と思い終結した赤シャツ達をかき分け目的のビルへ入ろうとすると、出入口からはどんどん人があふれ出てきており、警官がメガホンで「このビルには避難命令が出た。直ちに退出しなさい」と叫んでいる最中であった。

すでに約束の正午、「何だ、楽しみにしているランチをどうしてくれるんだ」と腹を立てながらも、諦めて場所を変更する旨友人に連絡を取りながら、デモ隊で埋まった交差点に突き進み強引に中央突破して次の駅(チットロム)から高架電車に乗車し直した。友人は降車したサイアム駅に引き返し、別の店で合流した。後で冷静に考えてみると、ビルから追い出された人たちは食事もそこそこに避難させられたのだろうから、それはそれで気の毒だった。

私がこの赤シャツ派たちに対し素直になれない理由は、親タクシン派と標榜しあたかも守旧派に虐げられた民衆を守る民主改革者、という看板を掲げてはいる(信じている日本人も多くいる)が、実態はこのただ一人の逃亡中刑事犯罪者である元首相から与えられた資金からの日当目当てに、農閑期に毎年都心へ押し寄せ憂さ晴らしをする農民たちがほとんどなのである。当然、政治的信条などかけらも無い、ただしそれだけに彼らもまた政治に利用されている犠牲者ということになる。
その赤シャツ派に真っ向から対立しているのは、既得権益層と都市知識層の支持する黄色シャツ派である。もちろん彼らは反タクシン派であって、首相としての利権を最大限に利用し莫大な蓄財をした彼を告発、有罪に持ち込み国外逃亡せざるを得ない様仕向けた勢力だ。あくまで立憲君主国家としてのタイを守るという云わば守旧派であるのだが、この黄色シャツ派もかつて赤シャツ派との対立で先鋭化し、空港封鎖などという犯罪的行為を行った。これも許されることではない。

この赤シャツ派デモ隊は現民主党政府の弱腰に乗じ急速に膨れ上がり、最大で10万人が更に大きな地域(バンコク都内の5大交差点)を占拠しバリケードを張り、地域住民と商業施設に多大な被害を及ぼす大騒乱事件に拡大する。またこの勢力と陸軍の一派が結託し武器弾薬まで持ち込まれ、銃弾が飛び交いグレネード弾(手榴弾様の爆弾を発射する武器)が一般群衆に打ち込まれるなどという内戦さながらの状態に発展する。
政治の失態あるいは決定された意思により、犠牲となるのは常に一般市民であるという歴史の常道はここタイでも再び繰り返されることになる。(引き続き次回レポートする)