不謹慎な表題で恐縮であるが、これは恐らく、多くのバンコク市民の実感である。

本日5月20日付で報道されている通り、タイ国陸軍総司令官は本日午前3時付、「戒厳令」を発令した。実は日本にいる姉からのLINEによるメッセージでこのことを知ったという体たらくだが、「ああこれでやっと政治混乱も収束するな」と思った次第。本格的な政治騒乱に陥ってからというもの、いつ軍が腰を上げるのかと心待ちにしていたのである。これまで何度か政治騒乱を経験しているが、良くも悪しくも軍が強制力を使用しない限り、絶対に収束はあり得ない。

一般的な国で戒厳令と聞くと、自然に流血を伴う事態を想像し、大丈夫だろうかと不安になるのが当たり前だがこの国では事情が異なる。軍隊が政治騒乱の収束に動いたとなれば、これを動かしたのはまさに天の声、安定政権を成立させるための、エスタブリッシュメント側からの実力行使の始まりである。そしてほとんどのケースで流血は無い。むしろこれ以上の流血を抑えるという成果に結びつく。

タイ政治史ではこれをクーデター(確かに、意味が全く違うとしても軍隊が出動し、時の首相の身柄を拘束し政権移譲を強制するのは、英語で言うところの紛れもないクーデターである)と呼び、現政権が誤った方向に動いてしまい強制力を以てする以外に収拾不可能な事態に陥ると、この“奥の手”が必ず実行されるのである。ただし今回司令官は「これはクーデターに非ず」と否定している。が、もちろんそれは対外イメージを慮った発言であって、尚私は手法を多少アレンジしただけの、エスタブリッシュメントによる政治正常化策、という意味で全く同一のものだと考える。もちろん予断を許さない状況なので、見守ってゆく。脱稿期日までに政治騒乱が収束していることを願っている。

5月22日、上記で私が予測した通り、陸軍司令官が設立した「平和秩序維持司令部」が全権を掌握(つまり、クーデターということ)したと発表した。司令官の命令により交渉の席に着いていた双方の政治紛争の首謀者は、即刻軍施設へ移送された。実際その後の報道を見ていると、対立の当事者である前首相に対し「礼を欠かない」「外部との連絡も出前の注文も許し」「穏健な拘束」と報じられている。この報道自体が、市民の側もこの結果を支持している証左ではないだろうか。「戒厳令」「クーデター」という言葉に踊らされセンセーショナル報道を今尚繰り返す海外メディアがどう見ようが、これが過去二十数回も繰り返されてきた、正常な、平和裏に催されるタイ式政治正常化劇場である。

私の元にも、有り難いことに私の身を案じた多くの「心配メール」や「心配コール」が日本の関係者から入り、そのたびに、「これが最良の、多くの良心的市民が望んでいた幕引きの始まりだ」と繰り返し説明する。法人所得税確定申告期限を来週末に控えた、この年次業務のピーク時にこれらの連絡対応に追われるのは辛いので、(しかしデモ主導側勢力は、農民を駆り出すため常に農閑期を狙って運動を仕掛ける。従って騒乱のピークも大抵この時期に重なるのだ)メールにはひな形の文面を貼り付けて返信した。

世間が恐れるクーデターの一般的イメージは、政治の腐敗を見過ごせなくなった軍部が自らの意志により暴力行使も辞さずに政権奪取する。市民は軍政を恐れながらも口を封じられやむなく従う。というものであろう。しかしタイ国軍は元々近衛師団の性格を持つ集団であり自らの意思で暴走したことは一度も無い。常に天の声に従い政治空白を埋め正常化し、後に政権移譲する、という機能を果たしてきた。もちろん暫定政権を差配する者の能力によっては、経済・財政・外交面で、元より手腕を備えていないケースがある(軍人なのだから当然)。ただし過去の例で言うと(私にとってはこれが3度目の経験)それぞれの暫定政権はまず無難な政治行政を行ってきたと思う。

この様な歴史的背景を理解された上で報道するなら、不安を煽る様な文章にはならない筈だが、それを日本の記者に臨むこと自体がそもそも無理というものだろう。