日本でも報じられている通り、バンコク中心部の主要な交差点7か所が反政府勢力によって封鎖された。マスコミの常として、封鎖され集会の行われている現場のみを切り取って報道する為、視聴者にとってはあたかもバンコク市民の生活が危険に瀕している様なイメージを与える。しかも政権側は非常事態宣言まで発令してしまった。その実態はどうなのか?

先ず、タイ政治システムの背景を説明しなければ正確な理解は得られないであろう。この様な二大勢力の不毛な争いに陥る以前、この国ではしばしば軍のクーデターによる政権交代が行われていた。
ただしクーデターと云えども、実は健全な政権交代を行うために確立したシステムであった。何故か?一面で超近代的、別の面では中世からの保守的身分制度を堅持するタイという国においては、すでに民主政治を行うためのシステムとしての選挙制度は機能しないのである。その原因は、国民の大多数を占める農民たちが保持する選挙票の取り込みだ。いともシンプルに現金による票集めができてしまえば、選挙制度自体が民主政治に反するという結果を招く。

そこで、政権が国益に沿わない方向へ動いたり、あるいはその恐れが顕著になると、この国を本当の意味でコントロールしてきたエスタブリッシュメントたちの意志が軍を動かし、首相の身柄を拘束する方法で無血クーデターという“健全な”政権交代を実現させてきた。このシステムが機能不全を起こし始めた頃、タクシン・シナワットという全く新しいタイプの政治家が現れ、官僚時代からその地位を最大限に活かしたビジネスでのし上がり、この国の首相という地位を得た。その様な政治家が政治権力を失ったときに考えることは、その地位を取り戻すために金銭で大衆を動員することであり、大衆が反政府運動の原動力として利用される様になった、というのが現在の姿なのである。

つまり駆り出された民衆は、人権や政策批判に目覚めた人たちではない。デモの現場(封鎖した大交差点)では、舞台に立つ演説には内容に関わらず、役割としてシュプレヒコールを送るが、興味を持つのは合間に行われるコンサート等のエンターテイメントと日当だ。エリアを覗いてみれば、ニュースでは放映されないが、縁日の様に露天商が軒を連ね、一般市民が夕涼みのそぞろ歩き、ショッピングを楽しんでいる。通常、露天商は管轄警察署の管理下にあるが、政府が微妙な状態になると警察も下手に手を入れられない為、抜け目の無い露天商たちがこの空白地帯を見逃す筈も無く、口コミでどんどん集まる。普段売っていないものが集まれば、物見高い庶民がさらに集まる。これが“非常事態”の「実態」なのだ。そして我々、現地で働く者も通常通りの業務を行い、この周辺地域で生活を営んでいる。私自身もこの縁日の中心にある地下鉄の駅をほぼ毎日利用している。不便を感じるのは車で移動する際に迂回させられることくらいである。

この平和的な反政府運動を尻目に国会議員選挙は2日前に強行され、野党側の立候補ボイコット、一部地域の投票ボイコットにより、政治情勢は予断を許さないが、それでも波が引くように沈静化の兆しを見せている。

この非常事態地域の平穏さが、この国の本当の底力を象徴していると言えないだろうか。